昨日、大負けしたので反省しきりです。どうして、あんなに精神的に動揺してしまったのか?
わたしは最低ロットでトレードしているので勝とうが負けようが数百円のことです。それなのに、まるで一大事のようにメンタルが崩壊してしまいます。
ちょうど「意識改革ブログ」に良い記事があったので引用します。
あなたがどのような劣等感を抱いた人生を送っていても、それはトレードの成否とは無関係なものです。しかし、お金がその無関係なものをつなげてしまいます。
トレード←→お金←→人生
「トレードでお金を稼げば、人生が充実する」
そう考えた瞬間に、お金が接着剤となり、トレードと人生がイコールでつながってしまうのですね。こうなるとトレードで勝てば、人生の勝者のように思えるし、トレードで負ければ、人生の敗者のように思えてしまいます。
このリンク状態に陥ると、余計な執着が出て来て自由な考えでトレードが行えなくなるのです。勝てば喜ぶし、負ければ嘆き悲しむ。それはあなたの人生の成否とトレードの成否が見事にリンクしてしまっているからです。
専業トレーダーは、トレードに対してかなり醒めた考えを持っています。私はトレーダーという職業について、好きではありますが、特に誇りはありません。トレードは単なるお金を稼ぐツールだと割り切ってやっています。トレードで勝っても自分は偉くなれないし、負けても自分が見下されるわけでもありません。トレードで勝っても負けても「自分は何も変わらない」お金では、結局自分は何も変わらない。
難しいかもしれませんが、その残酷な事実を始めに受け止めることができないと、
仕事のように淡々と割り切ったトレードはできないでしょう。
たかだかお金儲けのゲームに負けたのにすぎないのに相場という抽象的な相手に対して、なぜそんなに過敏に反応してしまうのか?
それは先に述べたようにトレードと自分の人生がリンクしてしまっているからです。
トレードで負けたことを自分が否定されたように思っているからです。悔しい、くそ!、こんちくしょう!、ついていない!、負けるもんか!それら全てには相手を見返してやりたい気持ちが込められています。相手を倒して自己を肯定したいのです。
相場を見返してやりたいと思う気持ちに駆られる。悔しさを晴らすために相場に挑む。それはリベンジトレードというものでしょう。専業トレーダーは負けても悔しいとは思いません。悔しいと思う気持ちは、自分の我を押し通したいという気持ちの表れです。
トレードで自分の人生が変化すると考えているから、相場で一喜一憂をしてしまう。
相場で気負いなく冷静にトレードしたいのであれば、西洋型の成功譚・アメリカンドリームはあえて捨てましょう。トレードはあなたの夢を叶える万能なものではない。
これに勝つことであなたの人生は何も変わらない。トレードであなたの劣等感は癒されない。だから、トレードするときに気負う必要はないのだ。これで、何も変わることはないのだから。
そう思えば、トレードと人生のリンクは解除することができます。結果として、トレードに劣等感は介在しなくなり、勝っても負けても別にどうでもよくなります。気負いなく平常心でトレードができるということです。
これを読んで、「なるほど」と思いました。わたしはトレードに対して過大な期待をしているようです。
トレードは単なるお金儲けの手段に過ぎない。勝っても偉くはないし、人生に変化はない。負けても同じ事。そのあたりの諦観が今のわたしにはありません。